ジョブズも憧れた伝説のエンジニア ロケット・ササキの共創とはなにか?

LINEで送る
[`evernote` not found]

日刊工業新聞newswitchに
シャープは“ジョブズも憧れた伝説のエンジニア=ササキ”後に何を失ったのか
という記事で 共創について書いて共感したのでここにまとめときたいと思います。

ロケット・ササキってどういう人?

通称ロケット・ササキ
本名佐々木正

 佐々木さんは、主にシャープの技術担当専務として活躍。
シャープ副社長に就いた後、ソフトバンク顧問などを務め

1915年生まれで現在101歳。
「電卓の父」「電子工学の父」などと称される。

「ロケット・ササキ」というのは、
佐々木さんの次から次へとスピーディに湧き出る着想力に、
当時小型電卓用LSIを共同開発していた米国人エンジニアが
「戦闘機のスピードでは追いつけない」としてつけたあだ名。

共創とはなにか?

佐々木正さんの生涯のモットーは「共創」
部下に対し次のように諭している。

内容「いいかい、君たち。分からなければ聞けばいい。
持っていないなら借りればいい。
逆に聞かれたら教えるべきだし、持っているものは与えるべきだ。
人間、一人でできることなど高が知れている。
技術の世界はみんなで共に創る『共創』が肝心だ」

日刊工業新聞newswitch

ではその後のシャープは?

では、今のシャープはどうしてこうなったのか?

“ササキ後”のシャープは、液晶事業のみに注力し、
技術を社内に囲い込む「ブラックボックス戦略」をとった。
「共創」とは真逆の方向に舵をきったからと

佐々木さんが活躍した当時のシャープには「スパイラル戦略」があった。
一つの製品や技術のヒットに安住せず、
その技術を他に応用して新市場を開拓していく、というものだ。

同社では電卓の開発にともない手に入れた液晶の技術を、
ビデオカメラのファインダーに応用して「液晶ビューカム」のヒットにつなげた。
その後、さらにパソコンやスマホに応用することで
「液晶のシャープ」を謳歌するようになるのだ。

 しかし、シャープはそこで止まってしまい、「オンリーワン」と称して液晶技術のみを追求するようになる。佐々木さんのように、常に前向きにロケットのように着想していく姿勢はほとんど見られなくなった。

最後に 

ロケット・ササキみたいな人はいっぱいいると思う
しかし、、、
評価されないのが現実だと思う
でも一流と呼ばれる人達は
ロケット・ササキさんの考えは
何故そうなるか?
答えは出てるのですが
まだここで書くまでブラッシュアップできてませんので
続きは、やきとり屋で話します。

lirevo の紹介

ものづくりの末端で働いてます。 理不尽なこと無理難題の要求、数々あります。 その要求に答えるため多くのチャレンジをしてます。 そこでの気付きを書いていきます。
カテゴリー: マインド (朝礼ネタで使える考え方) パーマリンク

コメントを残す